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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)7354号 判決 1970年10月17日

原告

竹本泰造

被告

賛光電器産業株式会社

ほか一名

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、求める裁判

一、原告

(一)  被告らは、各自原告に対し金一一、四四一、七四一円およびこれに対する昭和四三年二月二日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二、被告ら

請求棄却、訴訟費用原告負担の判決

第二、請求の原因

一、事故発生

(一)  発生時 昭和四〇年三月一二日午後〇時三〇分頃

(二)  発生地 滋賀県草津市岡本町名神高速道路下り線

(三)  加害者・大型貨物自動車(群一せ一一―二〇号)

運転者 被告波多江清

(四)  態様

原告が貨物自動車を運転して名神高速道路を栗東方面より大津方面に向け東から西へ走向し、事故現場で、積荷に覆つてあつたシートの弛みを締めるため同車を道路端に停車させ北側(進行方向右側)に廻つて作業中、同じく東から西へ向け走行して来た加害車に接触されたもの。

(五)  傷害

原告は、本件事故により、左脛骨々折、左大腿挫創、左肋骨皮下骨折、腹腔内出血の傷害を受け、昭和四〇年三月一二日より同月二九日まで大津日赤病院で、同月二九日より同年一〇月二三日まで京都府立医大付属病院でそれぞれ入院治療を受け、京都府立医大付属病院では開腹手術、下腿開放骨折接骨手術、左大腿部挫創縫合手術を受け、同病院退院後同月二四日より昭和四一年五月三一日まで同病院で通院治療を受け、更に同年六月一日より大阪大学付属病院に通院して外科、眼科、耳科において治療を受けて現在に及んでいるが なお足部腰部の骨折部分に疼痛があるほか、耳鳴、右複視、滑車神経不全麻痺等の後遺症が残つている状態である。

二、責任原因

(一)  被告賛光電器産業株式会社(以下被告会社という)は加害車を保有しこれを自己のため運行の用に供していたものであり、又、被告波多江清を使用し、同人が被告会社の業務を執行中に後記の過失により本件事故を発生させたものである。

(二)  被 波多江清は、本件事故発生につき、後記の過失があつた。

前方不注視、居眠り

三、損害

(一)  物損

冬服背広上下外四点の破損 金三九、〇〇〇円

(二)  治療関係費

1 入院治療費 金二七五、七一八円

2 入院雑費 金三九四、一七九円

3 通院交通費 金二六〇、二八〇円

4 付添費 金九〇、〇三〇円

5 その他の的諸費用 金五〇三、三二〇円

6 通院治療費 金四、六〇〇円

合計 金一、五二八、一二七円

(三)  逸失利益

原告は美濃清商工株式会社に勤務し、事故当時、取締役兼名古屋営業所長として、毎月金一〇〇、〇〇〇円の給与の支払いを受けていたが、本件事故のため稼働できず、事故の翌月より昭和四三年五月まで休職を余儀なくされた。その間は、労働者災害補償保険法に基く休業補償給付として、右給与額の六〇パーセントにあたる金六〇、〇〇〇円の支給を受けた。そして同年六月に復職したが、大阪支店詰めとなり同社八尾営業所次長に格下げとなり、給料も金六一、五〇〇円に減額され、この状態は満六〇年の停年まで続くことになる。従つて、事故によって逸失した利益は次のとおり金六、四二、六六六円と算定される。

1 昭和四〇年四月以降昭和四三年五月まで三八ケ月分

金一、五二〇、〇〇〇円

100,000×40/100×38=1,520,000

2 昭和四三年六月以降昭和四四年九月まで一六ケ月分

金六一六、〇〇〇円

(100,000-61,500)×16=616,000

3 昭和四四年一〇月より昭和六〇年九月まで一六ケ年分

(100,000-61,500)×12×(1+16×0.05)=4,106,666

(四)  慰藉料

1 入院期間中の精神的損害 金八三三、〇〇〇円(八ケ月一〇日間の入院で、入院一ケ月につき金一〇〇、〇〇〇円宛)

2 通院期間中の精神的損害 金二、三九六、六六六円(三年一一ケ月二八日間の通院で、通院一ケ月につき金五〇、〇〇〇円宛)

3 後遺症による精神的損害 金三〇〇、〇〇〇円(前記の後遺症によれば金三〇〇、〇〇〇円を下らない)

合計金三、五二九、六六六円

(五)  損害の填補

原告は被告より、入院治療費金二七五、七一八円、慰藉料金一、一五七、〇〇〇円、合計金一、四三二、七一八円の支払いを受けたので、これを右各損害金の支払いに充当した。

(六)  弁護士費用

1着手金 三五、〇〇〇円

2報酬 金一、五〇〇、〇〇〇円

合計金一、五三五、〇〇〇円

四、よって、被告らに対し各自金一一、四四一、七四一円および、これに対する訴状送達の日の翌日以降である昭和四三年二月二日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する答弁および抗弁

一、請求原因第一項中(一)ないし(四)、および(五)のうち原告の昭和四一年以降の治療状況の点を除きその余の事実を認める。同第二項中、被告波多江清が居眠り運転していたとの点を除きその余の事実を認める。同第三項中、(五)の事実を認め、その余の事実を否認する。

二、抗弁

昭和四〇年七月一七日、原告と被告らとの間で、次のような内容の示談(以下本件示談という)が成立して示談書が作成され、これに基き被告らは原告に対し、治療費、慰藉料合計金一、四三二、七一八円を支払った。

(1)  被告らは原告の大津日赤病院の入院治療費金二七五、七一八円を支払うこと。

(2)  被告らは原告に対し慰藉料として金一、一五七、〇〇〇円の支払義務あることを認め、示談成立と同時に金一五七、〇〇〇円を、その余の金一、〇〇〇、〇〇〇円についてはこれを昭和四〇年八月より五回に分割して毎月一〇日に金二〇〇、〇〇〇円宛支払うこと。

(3)  右以外の損害については、原告において労働者災害補償保険によりその所定の給付を受けるものとする。

(4)  今後本件については双方何等異議を申出ないことを確約する。

第四、抗弁に対する答弁および再抗弁

一、被告ら主張の抗弁事実を認める。

二、再抗弁

(一)  強迫による取消

原告は、本件示談成立当時、前記第二、の一、の(五)(請求原因一、の(五))記載どおり、大津日赤病院から京都府立医大付属病院に転医して入院中であり、その治療費等を勤務先の美濃清商工株式会社より仮払いの形で支払いを受けていたところ、同会社の調査部長で交通事故による紛議の処理を担当していた訴外松岡達弥および同人と面識のあったいわゆる示談屋の訴外金田光尚の両名から本件示談内容を承諾しないならば勤務先会社がなしていた治療費の仮払いを取り止めると強硬に迫られたため、入院治療中で家族の生活費にも困窮していたことから、已むなく示談契約を締結するに至つたものである。これは、ひつきよう右松岡らの強迫により示談の意思表示をなすに至つたものであるから、よつて原告は本件訴状の送達により、これを取消す旨の意思表示をなした。

(二)  要素の錯誤

仮に右主張が理由ないとしても、本件示談成立当時(昭和四〇年七月一七日)には、原告は、大津日赤病院の医師による同年四月一二日付診断書により同年三月二九日より向後六ケ月間の休養治療により治ゆする程度の傷害であるものと思料し、これを前提として、示談に応じたのであるが、請求原因一、の(五)記載どおり、同日より七ケ月間の入院と退院後三年八ケ月にわたる通院を要してなお後遺症に悩まされていると共に、労働者災害補償保険による補償も法定の期間満了により昭和四三年五月末日をもって補償打切となつている有様であり、かかる事情が示談契約締結当時予見されていたならば前記内容の如き示談に応ずるはずがなかつた。従つて、原告の示談の意思表示は、その重要な部分に錯誤があり、無効である。

(三)  示談の目的外の損害

仮に右各主張が理由ないとしても、示談成立後、示談当時に予想していなかつた長期間に亘る治療や後遺症が生じ本訴請求の損害が発生したものであるから、右示談によって、本件損害賠償請求権は消滅しない。

第五、再抗弁に対する答弁および再々抗弁

一、原告主張の再抗弁事実を否認する。訴外金田は原告側が示談を成立させるため依頼した人物で原告を強迫するが如きは考えられず、又訴外松岡は原告の上司であって被告らに加担して原告を強迫する理由も必要もない。又原告に示談成立当時予想しえぬ程の顕著な病状の悪化があったものとは考えられず、示談により支払われた金額自体も決して低額とはいえず、労災による休業補償金の支払いの点も併せ考えれば、本件示談は少額な示談金によつて解決されたものとはいえない。

二、追認

仮に、強迫による取消しが認められるとしても、原告はその後示談契約を追認した。即ち、被告会社が本件示談に基く分割金を支払つたところ、原告は異議なく受領しているので、これにより取消しうべき法律行為を追認したことになる。

第六、再々抗弁に対する答弁

原告が取消しうべき法律行為を追認したとの点を否認する。なお、原告は被告会社よりその主張の分割金を受領したけれども、これは、示談が取消しうべきものであることを知らずに受領したものである。およそ追認をなすには法律行為の取消しうべきものであることを知り且つ取消権を放棄する意思のあることを必要とするところ、原告にはかかる認識と意思がなかったのであるから追認にはならない。

第七、〔証拠関係略〕

理由

第一、請求原因第一項の(一)ないし(四)、第二項(但し被告波多江の居眠り運転の点を除く)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

第二、受傷の程度と治療状況

請求原因第一項(五)のうち昭和四一年以降の治療状況の点を除きその余の事実はいずれも当事者間に争いがなく、これと〔証拠略〕を綜合すれば、原告は本件事故により、右腎および脾臓損傷、右下腿開放性骨折、左大腿挫創、肋骨々折、左脛骨々折等の傷害により、昭和四〇年三月一二日より大津日赤病院に入院して治療を受け、同月二九日に京都府立医大付属病院に転医して同年一〇月二三日まで入院治療を受け、その後同病院に約七ケ月間通院した後、大阪大学医学部付属病院の眼科、耳鼻咽喉科、外科等に通院して治療を受け現在に至つていること、右入院期間中は、もつぱら内臓や骨折部の外科ないし整形外科的治療を受け、退院後まもなく前記挫創、骨折部位等の症状は軽快したものの、腰背部痛、めまい、難聴、視力減退等の症状が残り、大阪大学付属病院で診断を受けた結果、昭和四二年六月一二日当時、X線像で第二、第三、第四腰椎左側横突起骨折の像がみとめられ、骨片が筋肉中に遊離していたため、これが腰背部痛の原因となつていたこと、滑車神経不全麻痺(右)があり、これが視力減退の、内耳、第八神経領域に異常がありこれがめまい難聴の、それぞれ原因となっていたことが判明したところ、その後同病院で治療を受けた結果、昭和四三年三月ないし五月当時の診断によれば、右各症状はかなり快方に向い、昭和四四年二月二六日当時、頭部外傷後症状として、神経性難聴、立ち直り反射の異常、その他頭重、耳鳴、易疲労感などが依然として存するが、これらはいずれも神経性愁訴で労災保険ないし自賠責保険の後遺障害等級には該当しない程度の神経症状であるとの判定がなされていることが認められ、右認定に反する〔証拠略〕はたやすく措信しがたい。

第三、示談について

一、原告と被告らとの間で本件示談がなされたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、原告主張の再抗弁について判断することとする。

(一)  強迫

原告は、訴外松岡および訴外金田の両名から強迫され本件示談の意思表示をなしたと主張するので、考えてみるに、〔証拠略〕によるも、未だもつて、原告が右訴外人らから不法な害悪の告知を受けこれに畏怖して示談の意思表示をなしたものと認めるに足りず、他にこれを認めるに足る証拠はない。なるほど〔証拠略〕によれば、原告主張のとおり、原告は本件示談の交渉時ないし成立時には未だ京都府立医大付属病院に入院中であり、又、その治療費、生活費等を勤務先の訴外美濃清商工株式会社より仮払いされていたため、同訴外会社の調査部長である訴外松岡らより早期に被告らから示談金の支払いを受けて右仮払金の返済をなすよう要求を受け、これが示談に応ずるに至った理由の一つであつたことは認められるけれども、これをもつて強迫というにはあたらず(なお原告は同訴外人らから、もし原告が示談に応じなければ治療費等の仮払いを取り止めると強硬に迫られたと主張するところ、前掲各証拠によるもこれを認めるに充分でないが、仮に仮払いを取り止める旨の通知がなされたとしても、これ自体をもって害悪の告知があつたものと認めるのはできない)、ましてや原告において畏怖した(恐怖心を生じた)と認めることは到底できない。そうならば、原告の強迫による取消しの主張はその余の点につき判断するまでもなく失当であり採用することができない。

(二)  錯誤、別損害

次に原告は、本件示談は要素の錯誤があつたので無効でああり、仮にそうでないとしても、本訴請求は本件示談の目的外の損害についての請求であると主張するので考えてみる。

1 まず、原告は本件示談の際、原告の傷害の程度が六ケ月間で治ゆするものとの前提であったところ、入院七ケ月、通院三年八ケ月、更に後遺症を残している状態なので、示談契約に要素の錯誤があり無効であると主張するが、本件全証拠によるも本件示談が原告の傷害の程度が六ケ月間で治ゆすることを前提としてなされたものと認めるに足る措信すべき証拠はないこと、前記第二、認定のとおり治療期間はかなりの長期間には亘つたけれども、少くとも昭和四四年二月頃には神経性愁訴を残すのみの症状となったこと、前記当事者間に争いのない本件示談の内容によれば、慰藉料を一、一五七、〇〇〇円とし大津日赤病院の治療費を除くその余の治療費ならびに逸失利益等は労災保険により支給されることとなつていたこと、などからすれば、示談当時予想していた傷害の性質、程度が実際と「著しく」異つていたものと認めることは困難であり、他に主張、立証のない本件において、本件示談契約に要素の錯誤があったものと認めることはできない。もっとも、前記第二、認定の治療経過からすれば、原告において、示談当時の予想よりも治療に長期間を要したものであったであろうことは容易に推認しうるところであるが、しかしながら、一旦当事者間で成立した示談契約が傷害の程度や治療期間の見込が異り錯誤により無効であるといいうるためには、社会通念上、その見込み違いがなければ示談を締結しなかつたであろうと認められることを要すると共に、示談当時の認識、予見と実際との不一致が著しい場合、即ち、示談後に症状が予期に反して悪化したり、不測の後遺症が後発したなどの場合に限られるものと解するのが相当である。(通常、医学的知識を持ち合せない示談当事者が傷害の程度、予後の状況を的確に判断しうることはほとんど不可能であり、又交通外傷の場合には治療にあたつた医師も患者の余後について正確な判断がなされていない場合の多いことは日常多々経験しているところであり、従つて、示談当時の認識、予見が実際とくい違う場合の生ずることは避けられないところであつて、多少の見込み違いの危険は前記のように症状の顕著な悪化や後遺症の後発など認識と結果との相違がはなはだしく、社会通念上これを無視することができない場合は格別、当事者のいずれかの一方の負担とすることにならざるをえない、もしそう解さないとすれば交通事故に関しなされる示談はそのほとんどが無効となり、極めて不当な結果となる。)ところ、本件においては、前記の各事実に徴すれば、その不一致が著しい場合にあたるものとは認められない。

そうならば、原告の錯誤による無効の主張もこれを採用することができない。

2 次に、原告の本訴請求の損害には示談の拘束力が及ばない旨の主張について考えてみるに、およそ一旦有効に成立した示談(示談金以外の損害賠償請求権の放棄条項)が、その拘束力を及ぼさないとするためには、<1>、示談が全損害を把握しがたい状況でなされ、<2>、早急に締結され<3>、示談金が少額であること、<4>、予想外の後遺症等の後発の四要件を必要とするものと解するを相当とする(最高裁、昭和四三年三月一五日、民集第二二巻第三号五八七頁参照)。本件についてこれをみるに、前記のとおり本件示談は、未だ原告が京都府立医大付属病院に入院中で、本件事故により生じた全損害を把握しがたい状況で締結された(ちなみに、事故発生日は昭和四〇年三月一二日、示談成立日は同年七月一七日、退院日は同年一〇月二三日)ものではあるが、事故後約四ケ月余を経過した後に締結され、その示談内容も被告らにおいて、合計金一、四三二、七一八円(大津日赤病院に対する入院治療費金二七五、七一八円を含む)の支払いを約したもので、必ずしも示談金額が少額とはいえず(当時の自賠責保険金の死亡の場合等の最高限度額が金一、〇〇〇、〇〇〇円であった)、自賠責保険ないし労災保険からの支払いのみで責任を免れようとした事案とも認められず、更に原告において示談当時予想しえない病状の悪化や後遺症が後発したものとも認められないこと前記説示のとおりであるから(もつとも原告に頭部外傷後症状の存したことはたしかであるが、これも昭和四三年五月頃にはかなり軽快し、その後は神経性愁訴が残ったものと認められることは前記のとおり)、そうならば、本件示談がその拘束力を及ぼさないものとみることはとうていできないので、原告の別損害であるとの主張もこれを採用することができない。

第五、以上によれば、原告と被告らとの間で、昭和四〇年七月一七成立した本件示談に特段の瑕疵や、無効、拘束力消滅原因が存するものと認めることができないので、そうならば、原告主張のその余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉崎直弥)

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